ケニア・リポート                        9・29〜10・7 2004

 

 

 

KENYA REPORT 1/2日目(29-30sep)東京-新大阪-関空-ドバイ-ナイロビ-アンボセリ

台風が高知に再上陸し、羽田から関空への便に欠航の可能性が出た。われわれは急遽新幹線で新大阪まで移動。新大阪から関空までロケバスをチャーターし、チェックインしたのはフライト30分前。驚異の滑り込みだった。

関空からUAEドバイまで11時間。24時間営業のハブ空港は石油バブルのおかげで必要以上の照明が煌々と照り付けており午前五時だというのにDUTY FREE SHOPが活況だ。一方これから訪れるナイロビは英米との確執の煽りで反日感情がある。隣国の内政不安が落ち着いた反動で武器が流入し、数百円でライフルが手に入る事情だ。外務省の設ける渡航危険度も高い。

ドバイから5時間のフライトで到着する。ここまで東京・新大阪3H、新大阪・関空1H、関空・ドバイ11H、ドバイトランジット3H、ドバイ・ナイロビ5Hの計23時間経過した。ナイロビ空港ではコーディネーターのスギモトミチコさんが出迎えてくれる。彼女は終始一貫非常に手際が良かったのだが、膨大なバゲージ類を持ち運ぶ撮影隊をイミグレーションでも簡潔に団体のまま素通りさせた。空港のように資本主義や教育が入り込んでいるエリアでは目に見える反日感情やそれらの態度に出くわさなかった。ここより陸路でアンボセリ国立公園へ移動。トヨタ・ハイエース四駆仕様2台で4時間の走行だ。

アンボセリへの道は長い。全ての木々は光を浴びようと水平に枝を伸ばす。素早い筆捌きで明瞭に描くダリの木々のようだ。少し走っただけで山や起伏が目立って減る。すると道沿いにインパラが現れた。インパラは鹿のような姿だ。お尻に黒い筋が三本「川」のように入っているのが特徴だ。まさにケニアだ。2時間も過ぎるとゼブラが現れる。ゼブラはあまりにアフリカ的でシンボリックな存在なために初めて目撃すると興奮する。テレビや書籍、動物園で見たものが野生のままかけまわっているのだから驚くばかりだ。しかしそれもすぐ見慣れる。ゼブラ総数が多いから有り難味も薄れるのだ。「甘いものも摂りすぎれば胸焼けを起こす」とはシーェクスピア曰く。

 

 

KENYA REPORT 1/2日目(29-30sep) Vol.2

 

タンザニアとの国境手前を大きく左にカーブしていくと突然道がラフになる。昔風に言うなら洗濯板の上を走行しているような小刻みの振動が襲う。時速60Kmほどの走行でも車が分解するのではないかと思わせる。事実床下のパネルに大きな石がバンバン当たりシャフトが損傷してもなんらおかしくはない。アンボセリ国立公園の入り口に到着したのは1時間程してだ。ゲートはさほど大きくない。アーチ型の石造りで辺りをマサイの物売りがたむろしている。随分引き離してしまった後続のバスを待つ間物売りが窓を叩く。途上国に共通の風景だ。しかしインドほど押し付けがましくもなく悲惨な感じもない。

ゲートの向こうは見渡す限り荒涼とした平原が続いている。キリマンジャロの噴火によって古代の湖に灰が降り注ぎ出来たカーキの大地。植物は皆低い。向こう何十キロも続くサバンナのところどころに砂ぼこりが立ち上る。ゲームドライブの車たちだ。サバンナに住む野生動物や風景を楽しむドライブをゲームドライブと呼ぶ。植民地だった頃、狩りを楽しむイギリス人たちの習慣が観光に転換された。われわれは台風の近づく東京からここまで停まることなく移動しつづけながらアフリカのアーチに到達し、さらに360度の大平原をゲームドライブに突入した。ホテルはこの先1時間の場所だ。

「永遠」。アンボセリに対する第一印象だ。30分もサバンナを走るとどの方向をむいても遮蔽物のない水平なパノラマが展開する。そこに日暮れ特有の雲間から差し込む太陽の光が神の道を作る。アンボセリの時間には過去も今も未来もないようだ。この永遠の前には人間の生み出してきた基準が無意味になる。その価値の消失を目の当たりにすることこそアフリカの意義そのもののように感じられる。そこには永遠しかないように直観するのだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.)  

 

目覚めるとホテルの部屋だった。白い壁には黒い染料でゼブラが描かれている。ここはアフリカだ。31時間かけて到着したセレナ・ホテルで夕食を取りながら窓の向こうに突然象の親子が現れたのは昨晩のことだ。

早朝から国立公園内の小高い丘に登りキリマンジャロをバックに撮影を行う。しかしキリマンジャロはフォグに包まれてぼやけた輪郭しか感じさせない。アンボセリを訪れた理由は唯一この山を撮ることだ。

少しだけ高みに上るとここが本当に果てしなく全方向に水平だということがわかる。水平なだけでなく地球が湾曲していることも容易に感じられる。この丘はアンボセリの中でも周りを見渡せる数少ないポジションで観光客も集まる。もちろん観光スポット的親切さとはまったく無縁なのだが。みるとやはりイギリス人が多い。会話を小耳にはさむとすぐにそれとわかるアクセントだ。

ここでは双眼鏡が必携で動物たちの観察に役立つ。向こうには象の家族、向こうにはヌーの大群、向こうにはゼブラが水を飲んでいたりする。沼で浮いたり沈んだりするカバを見るにも必要だ。

この風景の力を他者に伝えるのはむづかしい。人は経験則の中で距離感と刺激の関係を知覚や感覚している。そのデータを超えるものは「説明しがたい何か」としか言えなくなる。それがアンボセリだ。たとえば様々な媒体で観るアフリカの風景や野生は感知可能なフレームの中に収まったものだ。写真しかりテレビしかり。しかし本物のアフリカはぐるりと見渡しても届かない情報量に満ちている。遠い広い高い深い冷たい暑い怖い嬉しいのすべてだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.) Vol.2

 

ホテルから30分ほどドライブすると短い滑走路と小さな小屋で構成された飛行場に着いた。撮影を終えマサイマラへ移動するためだ。飛行場を管理しているらしき太った女性が近づいて来て「40分遅れるそうよ」と言った。African Timeだ。しかしジャマイカでもそんなことがあったような気がする。暑い地域に機敏さや正確さを要求するのはナンセンスだ。

設楽さんと白山くんがフリースビーを始めた。深津さんが持ってきた、投げる時には円盤だがキャッチする際には球形になるという飛び道具だ。あまり楽しそうに投げているのでマネージャーの中町さんも参加。汗だくになりながら三人Enjoy。彼女は真っ黒ないでたちに日傘でガードしながら座っていた。僕はチンザノドライを飲みながら眺めた。すると遠くに竜巻が何本も立っているのに気づいた。椅子から立ち上がって相変わらず360度ぐるりと見渡すと、それぞれの方向に何本も立っている。そもそも竜巻自体そうそう見られるものではないが、同時に何本も、しかも全方向に見るなんて凶器の沙汰だ。

飛行機が来た。映画なら竜巻に巻き込まれるところだ。双発のプロペラ機は安定感を保ちながら着陸した。18人乗りのチャーター機だ。なんだかロックバンドっぽい。大量なバッゲージも無事積載されてわれわれもこじんまりしたタラップを身をかがめながら乗り込んだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.) Vol.3

 

機は高度を徐徐に上げて行く。晴天だ。前を見るとキャビンと操縦席を遮蔽するものはほとんどない。機長と副機長、それに無骨なメーター類が丸見えだ。おもむろに副機長が振り向くとミント・キャンディーが入った籠を差し出した。キャビン・アテンダントも兼ねているのだろう。とは言え後ろまでは距離があるので手渡しに回していく。

安定高度に達ししばらくすると設楽さんが「空気薄くない?」と言った。その後しばらく彼にしてはめずらしく緊張感と低いテンションが複合した雰囲気を醸し出した。そう言えば以前アルバカーキ(サンタフェ)を訪れた際軽い高山病にかかり軽い頭痛、めまい、吐き気に見舞われた。その折むしょうにピクルスが食べたくなった。運のいいことにロケバスに大粒ピクルスが詰まった大瓶がありそれを全て平らげ速攻復活した。もしかするとそれに似てミント・キャンディーは高高度への効用があるのかもしれない。

美しい湖の反射を越えると大地に緑の数が増えてくる。比例するように丸い集落の数も増す。マサイマラだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.) Vol.4

 

マサイマラ国立保護区の飛行場に着陸するとハイエースが2台待っていた。相変わらず滑走路は赤土剥き出しで、機はわれわれを降ろすとその場でゆっくりUターンをする。とそのままプロペラの回転数を上げ滑走し始めた。機長がこちらに手を振る。轟音と共に砂ぼこりが巻き上がる。着陸しすぐ離陸する。極めてシンプルだ。

ドライブ・コーディネーターはニコラスとサムだ。かなり陽気なふたりで、特に二コラスは日本語が堪能。しかもナイロビは英領であったことも手伝ってブリティッシュ・イングリッシュだ。かっぷくも良く顔の曲線の反射率が良い。絵に描けそうだ。サムは質実な雰囲気。言葉はスワヒリONLYだが人柄が伝わる。そうこうするうちに5分ほどでこれから数日間の宿泊場所シアナロッジに着いた。

シアナロッジはいわばテント村の様相だ。アンボセリ・セレナホテルに比較したならばファシリティの面で格下のように感じられた。しかしそれは今までのコンビニエンスな旅に慣れた常識的な判断基準であることが翌日にはわかった。

ホテルの敷地に入るにはかならず柵とガードマンが付く。それはセレナもシアナも同じだ。敷地に入るとかならず広場のようなスペースがありそこにゲーム・ドライブのための車が並んでいる。ランドローバー・ディフェンダーが圧倒的に多いのもやはり英国の影響だろう。またこの地に極めて似合う。レンジローバーでもエクスプローラーでもハマーでもない。たまにランクルもある。白山くん曰く「ランクルすごいらしいですよ」ということだ。フロントがランクルでキャビンがディフェンダーなどというツワモノもいた。

広場からフロントに入る。とは言え、六角形をしたテントだ。テントだがちゃんと木の柱はあるし建築的な強度感がある。出迎えにお絞りは必須で、飲み物はオレンジジュースやらマンゴージュースだ。

チェックインを済ませる。僕のテントはPalm6。略称P6だ。設楽さんはP7。ボコちゃんはP8だ。ここはフロントから木々のトンネルをしばらく歩いて抜けた場所にあり、とは言え木々がうっそうと茂った中に立っている。ひとり一テントだ。野営とはまさにこのような感じで、六本の木の柱に梁が渡されてそこに第一の屋根となるモスグリーンのテントが張られている。そしてその内側に部屋となるテントが設営されている。つまり強度的にはまったく問題ないということだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.) Vol.5

 

ロッジ到着から夕食まで仮眠を摂る。目覚めると窓(とは言え網の四角い穴)の外は暗闇だ。ロッジの電気は自家発電なのでジェネレーター・タイムと呼ばれる使用時間が定められている。まだ電気は通じていない。まったくの闇だ。ベッドの上にポンと置かれた懐中電灯の意味を理解する。サイドテーブルのキャンドルに火をつける。キャンドルの光量がこれほど豊かに感じたことはなかった。

外ではなんの動物かもわからない鳴き声がする。ギャーギャーギャー、キーキー、パォパォパォパォパォ、カカカカカカカ、というようなサウンドの複合で(もちろん本物はもっと複雑系だが)、ディズニーランドのジャングル・クルーズが子供だましだと理解かる。実際のアフリカの闇の鳴き声には恐怖を禁じえない。

「ジャーー・・・・ドスン! パラパラパラ・・・」という人生の中で初めて聞く音がテントの屋根を襲った。始めの音から数度同じことが起こった。外では相変わらず金切り声の動物の存在を感じる。サルでも屋根に降りたかと思い屋根を棒で突き上げてみる。しかしよくよく考えてみればテントは二重構造なのだから無意味だと気づいて止めた。それでもこの状況下にテントから出てレストランの大テントまで行かなければならない。

懐中電灯を手にしながら恐る恐る入り口から出ると見事に漆黒の闇だ。
チェックインに通ったはずの道が闇に紛れて筋さえ見えない。動物は金切り声を上げている。金切り声をあげたいのはこっちだ。件のブッシュのトンネルを抜けなんとかフロントまで到着するとギフトショップの明かりが目に付いた。旅行者のサガでついふらりと覗いてしまう。

とりしきるのはドミニクという気のいい男だった。ここの土産類はおすすめだ。とは言えそう簡単にここに買い物には来られないが。置いてあるものに愛情が感じられた。もちろんフィルムや電池や雑貨の類もあるのだが、ケニアらしい品揃えのひとつひとつに地場でしか得られない品格がある。いわゆるアフリカっぽいものを旅行者向けに選んでいるという感覚ではなかった。しかもビーズの腕輪が100円とか。

いくつかの品を仕入れると「どこから来た?」と問うので「日本だ」と返すと「じゃぁ、俺の名前を漢字にしてくれ」とニコニコ顔の割りに乱暴なオーダーをされた。「いやいや漢字にはそれぞれ意味があって、それをアルファベットの名前に転換するということは云々~」みたいなことも伝えるのに面倒臭いものだから、その場は立ち去り、よくよく考えた末に「土美肉」と銘々し後日伝えた。もちろん意味も教えるとまたまた彼はいつも通りの満面の笑みで礼を言うなり習字の練習を始めた。家の壁に書くそうだ。

 

 

KENYA REPORT 3日目(1oct.) Vol.6

 

ディナーの際、設楽さんが「まじであのテント怖い」と言うので、実は僕も似た感じがあると伝えるとボコちゃんも賛同した。「だよね、テント変えた方がいいかも」ということで編集江口さんとコーディネーター・ミチコさんが奔走することになる。都会人はヤワヤワだ。

食事を終えると21時頃に集合しナイト・サファリにでる。ゲームドライブの夜版だ。ドライバーとナビゲーターが一組になりサーチライトで夜行性動物を探す。マサイマラの気候は日中の陽射しに引き換えて朝晩が冷え込む。車はオープンエアのランドローバー・ディフェンダーだ。ドライブにはセーターやウィンドブレーカーが欠かせず理想的にはGOATEX系のジャケットだ。

車が出ると全員必要以上にはしゃぐ。なにしろそれまでトヨタハイエース四駆仕様で、もちろん性能的に遜色はないのだが日本人にとっては印象があまりにドメスティックで旅のエキゾチシズムがない。況してアフリカ
イギリスディフェンダーという図式にどことなく憧れがある。東京ではまったくなんとなく見ている車なのだがアフリカではベストマッチ+ステータス感がある。

巨大な満月が地平線近くに浮いている。巨大な朝日や夕日は観たことがあるけれど、この大きさの月は生まれて初めてで今回の旅の衝撃のひとつだ。獣でなくとも吠えようかと思う。天空には雲のような天の川があった。

 

 

KENYA REPORT 4日目(2oct.)

 

「ジャー・・・ドン! パラパラパラ」の音で朝目覚めた。夕べのボコちゃんの証言によりP6、7、8テントの上の木には猿の群れが住み着いていて、ナイト・サファリに集合する際に出くわしたそうだ。で、この耳慣れない朝夕規則的に起こる音とサルを考え合わせて答えが出た。彼らのトイレだ。

ジャーは液体。ドンは固体の屋根への衝突音。パラパラパラは液体と固体の着地音。謎が解けてむかついたのと同時に得も言えぬ恐怖心が消えた安堵も得た。妙な気分だ。サルの糞尿音に起こされる経験も初めてだ。ケニアで起こることの全てが自分にとって初めて尽くしでミソもクソもない。

午後になり撮影に出る。車は三台。それぞれのドライバーは「ソーセージ」と申し合わせている。何かと思えばソーセージのような実のなる木が目印の場所に行くということだ。ゲームドライブがてらそこへ行くが、一台はぐれる。そもそもその一台は最初に出発したはずなのだが一向に来ない。急ぐ状況はなにもないので動物たちを観る。牝ライオンが木の根元近くで昼寝をしているのをそっと観ているところへようやく追いついた。2時間ほど経過していたかもしれない。われわれがロッジから出たところで道をショートカットしたのに対して、こちらを途中で待っていた先発車が無線の不備で「ソーセージ」が伝わっていなかったらしい。無事で何より。

夕景を狙うために場所を探す。マサイマラをドライブしてみると起伏の感じが北海道に似ている。もちろんサイズのレベルは比較にならないが、なにしろわれわれの視力で認識できる距離に限界があるので分かる範囲のことを言うしかできない。緩やかな起伏が大きく波打つように連続している。そのひとつの波は平原となり永遠とつづく。そしてそれが再び下がり、また上がる。このうねりの中に木々が点在し動物が群れる。

日没が近づき撮影を始める。すると西の向こうの一直線につづく起伏の峰をキリンの家族が横一列に移動していた。ほとんど点だ。しかし首の長さだけはよく見える。夕日を背景に点のキリンが左から右へゆっくりと歩いている。ジュラシックパークのような、とんでもない風景だ。

 

 

KENYA REPORT 5日目(3oct.)

 

ライオンの狩は夜か朝だ。マサイマラはライオンの生息数が多い。早朝から食事の様子を観に出掛ける。動物たちの活動は日中暑いことも手伝ってか朝夕が活発だ。特にライオンはほとんど寝ている。狩りはもっぱら牝ライオンの役割でそれを教育するのも牝だ。そう言ってしまうと雄のアイデンティティが微妙なのだが、雄は外敵から家族を守る。また子孫の種になる。牝ライオンよりも平均寿命が短い雄ライオンは、ひとつの家族にとどまれないことが多い。若い雄ライオンがファミリー・サークルにやってくるとそのライオンと対決し敗北すれば出て行かなければならないからだ。雄ライオンのアイデンティティとは家族にとっての「SEX&FORCE」と言える。

プロシア軍参謀クラウゼヴィッツが著作した「戦争論」という本の主題のひとつに「戦争とは防衛である」というものがあるが、そこにはライオンの生き様そのものを投影できる。<攻撃と防衛>はなにも戦争だけでなく人生そのものの主題に置き換えられまいか。ライオンの場合、<セックス=種の防衛 フォース=命の防衛>とも読み取れる。そしてそのためには老いて力の落ちた雄ライオンも容赦なく去らねばならない。

人間の暮らしは文化的生活になるほどそのサバイバルが曖昧になる。SEX(種の防衛力)が落ちても医学療法によってサポートされたり、それも適わなければ養子縁組もある。事実、環境ホルモンによる精子激減や不妊率の激増も国家的問題の優先事項には取り上げられない。これは少子化が叫ばれる日本であったとしても、「生殖能力低下が種の保存を犯す」=「個人個人の利益を深刻に損なう」という図式が当てはまらないだろうという認識が蔓延する社会だからだ。

FORCE(命の防衛力)に対する自覚については破滅的な状況にある。へたすると自分は特別で飛行機が落ちても死なないくらい思っているかもしれない。その類の気楽さは国家レベルに潜在するもので、自国を他国に守ってもらうことを「安全保障」というお粗末さだ。もし命に対する責任感を追求したならば小学生が駅をいくつも乗り換えてへとへとになりながら登下校することに疑問を呈さない家族観と社会システムを疑う。イギリスでは12歳以下の子供を一人で学校にはやれない。その意味で、人間にとってのFORCE(命の防衛)とは動物のような直接的な力の行使ではなく、CONSCIOUSNESS FOR HUMAN RIGHTS(人権意識)なのではないかと感じる。人権意識の連鎖こそ人間にとってのFORCE(命の防衛力)なのではないか。最近アメリカあたりではそれに逆行する政治力が行使されているようだが。

 

 

KENYA REPORT 5日目(3oct.)vol.2

 

しばらく走ると「マタニティ」と呼ばれる一画に着く。そこはライオンが出産し育てる場所だ。丁度雄ライオンと牝ライオンが寝そべっていた。近くには子ライオンが3頭いる。そこへ最も小さなライオンが歩いて来た。お腹が膨れている。食べたばかりだ。

雄ライオンと牝ライオンが睦まじく寝ている。するといきなり交尾を始めた。いわゆる一般的なスタイルで雄が後ろからのしかかると数分続けて、牝が「ウヮオ!」と一鳴きするなり終わった。牝は腹を上にして思い切り無防備にごろごろしている。全体的に「早い!」という印象だ。人間のように快楽を中心に据えた交わりというよりは、食事と同じ生きる上での一行動、というような感覚を覚える。すべての価値が平等だ。

車を右に進めていくとハゲワシの山にあたる。ライオンの食べ残しに群がっているのだ。死骸はヌーだ。そこにジャッカルも加わっている。ハゲワシの群れにもヒエラルキーが存在しており、さながらサルの大ボスのように体の大きいワシが二羽いた。この二羽の頭はつるつると髪がなく、くちばしが極めて鋭い。死骸の腹の皮に切り込みが無い時にまず最初に穴を空け頭を入れるのに都合が良い。ボスワシがついばみ終わると回りのワシがおこぼれにさずかる。その姿や鳴き声は極めて醜悪だが、それは彼らの責任ではない。神がそのように作られただけだ。

ジャッカルの目には一種独特な鋭さがある。小ぶりの体ながら如才ない洞察力と俊敏性で肉を突付いていてもハゲワシから攻撃を受けない。少なくとも僕が観察していた時間内には一度もその戦いはなかった

 

 

KENYA REPORT 5日目(3oct.)vol.3

 

昼、テントを利用して撮影を終える。シエナの敷地は中庭が広い。中庭というか広い敷地にテントが点在し中庭のように見えると言った方が適切かもしれない。その中に大きな木々やサボテンが生え、ガゼルやサルたちが草を食む。結局テントはP6からB1に移動した。このBシリーズは中庭と思しきスペースに面しており食堂のある大テントからも近い。しかも僕のテントは最もレセプションに近く、P6で過ごしていたことを考えると田舎と都会の差だ。

中庭にいるとベンチにマサイが座っていた。設楽さんが、「彼のお尻すごいよ」というので失礼にならないように立って貰った。確かに凄い。大腿部から突き上がる筋肉の線は臀部で円弧を描き、そのまま背骨へ食い込むように坂道の角度を下げる。尻を中心に横から見たならば美しいS字形だ。

髪は長い。マサイ族のほとんどは短髪だがMASAI WARRIERと呼ばれる戦士だけは長髪が許される。髪は幾筋にも編みこまれ赤く染められている。染め粉に粘着性があるためかコーティングされているような感覚に見える。泥を主体にされているのかもしれない。もみあげ部分は何本かの三つ網が平面的にひとつに統合されており形は三角だ。頂点は完全に前方に向かっており真横からでは鼻より高いかもしれない。モトクロスのヘルメットの口部分をとったようなプリミティブかつ未来的な形状だ。額には何色もの細かなビーズによって仕上げられた装飾品が取り付けられているが、それともみあげの連続性は正面から見ると尖り気味のM字形だ。色・形ともにユニークかつ攻撃性が現れている。ライオンは積極的に人を攻撃することはない。例えば人喰いライオンなどと呼ばれる例は、極稀に人の味を覚えたライオンが習慣性を持った場合だ。基本的にライオンは人間のテリトリーを侵さない。しかし赤い衣装を纏った場合にはその基本は適用されない。赤い衣装を纏うマサイはライオンを殺すからだ。その記憶はライオンの生理に宿っている。

ディナーにマサイダンスを見る。彼もいた。マサイダンスは一言にジャンプだ。そのジャンプは、例えば極度に追求されたアスリートが常識を超えた「走り」を見せる時、われわれの抱く概念を完全に打ち砕き新しい価値観と感動を与えるのに似ている。

高音と低音が錯綜した声のリズムの中に時折奇声が混じる。それに合わせて前後に体を揺らしながら槍を立て、微妙に前進しつつ徐々にフォーメーションを作っていく。その風情は呪術的だ。ブードゥーやインディアンの儀式に見られるようなアニミズムを掻きたてる、人間の原始的な野生に訴えかけるような聴覚・視覚・嗅覚だ。

アフリカの人々は独特の匂いを放つ。世界の人々が特有の匂いを持っているうちのひとつだ。マサイ族は特にそれが強い気がする。ダンスが始まると不快ではないが刺激臭を含む匂いが五メートルは離れているこちらにも感じられる。熱気と匂いだ。どこかツンとする。それも含めて動物的かつ攻撃的な感じだ。

ジャンプは頭が屋根に届く勢いだ。前後に出した足をリズムに合わせて屈伸しタイミングの良いところで一気にジャンプを開始する。それが始まると回りの男たちがはやしたてジャンプを続けさせようとする。その様子には村の若者が友達をからかうような雰囲気があり、ジャンプが開始されるまでの暗く呪術的なテンションに、開放的でカジュアルな要素が加味されていくようだ。

彼らは本物のマサイウォリアーだが、ホテルによってはマサイ族出身者がホテル勤めをしていて余興にマサイダンスを見せるというような温泉ホテル的発想のイベントを行っている。しかし本物であろうとエセ臭いものであろうと、マサイが資本主義化していることは事実だ。試しに無断でマサイにカメラを向けたとすれば「チャージ!」と手を出して要求されるだろう。マサイ村で撮影するには長老にお金を払わなければならない。もちろん「礼を尽くす」という意味の範囲で渡すお金であれば互いの要求を充分に満たす。しかし先進国の金銭感覚あるいはレートに乗じて自分たちの村に不釣合いな金額を要求するとすれば世間ズレというものだろう。ちなみに今回われわれは村やマサイの撮影を行わなかった。それを知っていたからだ。われわれが撮りたいものは資本主義に侵されつつあるマサイではなく、自然の過酷さと豊かさを併せ持つアフリカだからだ。

 

 

KENYA REPORT 6日目(4oct.)

 

朝、陽も上がる前に移動を始める。バルーン・サファリのためだ。集合場所はシエナから3~40分ほどの場所だ。われわれはブリティッシュ・グリーンに塗られたランクルに乗り込んだ。しばらく走るとギアが壊れた。昔F1グランプリでアイルトン・セナが2から5速までが抜けても優勝したのを思い出したが、われわれは後続のハイエースに救われた。あくまでもハイエースだ。

空気の入らないバルーンは巨大なスルメのようだ。オレンジを主体にしたボディーの口元にバーナーの炎で温風を吹き込んでいる。どんどん膨らんでいく。パイロットのセバスチャンは明らかにロバート・レッドフォードを意識したようなアフリカのダンディだ。彼から安全な飛行についてのブリーフィングを受けてかごに乗り込む。作りがあまりに簡単過ぎて「死ぬ時には死ぬものだ」と腹をくくる。ブリーフィングはただの互いの気休めだ。

バルーンは徐々に浮上する。地表から離れたことを意識できない。風の音の中に「グフォー、グフォー!」というバーナーの音が混じる。それによって上昇し、バルーン内の上部に空けられた弁をラインを使って開閉し方向と下降を操作する。上がったきりなのかと想像していたら、かなり地表近くまで下降する。もうすぐそこにアカシアの木々の突端がある。

上昇と下降を繰り返す。すると白サイが向こうに見えた。サイはなかなか見ることが出来ない。高く上がるとそこかしこにヌーの群れが見える。こげ茶色の無数の点だ。縦一列になっている群れもある。いまや目も慣れて動物というよりはただのライオンのエサにしか見えない。

1時間ほどのフライトの間バルーンを車両チームが追いかける。バルーンから見る大地は丸い。広角レンズを使った写真がそのようなゆがみを見せるが、ナチュラルに風景を眺めて地表の丸みを感じるのは不思議に思う。「地球は丸い」ということは日常的に遠くに浮かぶ船が向こうに行くにしたがって沈んでいくように見えることで感じることも出来るが、それはどちらかというと「丸いから沈んでいくようにみえるのだな」と知識を使った理性的なものだ。しかしここでは違う。明らかに丸いのだ。

ひきずられるようにして着陸する。バルーンの着陸について真剣に考えたことはなかったが、漠然と垂直の下降でストンと降りるようなイメージを抱いていたが現実は違った。風に流されて移動している原理上、下降していても横移動をしている。必然的に地表に対して垂直な動きではなく斜めの下降線を描く。したがって着陸時にはかごがずるずると引きずられるわけだ。かごに乗ったまま引きずられるという体験も初めてだ。

着陸地から車で十五分ほど移動するとデリバリー・サービスがシャンパン・ブレックファーストをセッティングしている。ブルーのチェックのテーブルクロスがかけられた長く低いテーブルがある。

 

 

KENYA REPORT 6日目(4oct.)Vol.2

 

バルーンで1時間ほどの飛行を終え着陸しシャンパン・ブレックファストを振舞われる。サーブするのは地元のアフリカ人。仕切るのはイギリス人だ。さながら昔サファリが始まった頃からなんら変わらぬヒエラルキーを目の当たりに見る。しかしそこに悲壮感はない。むしろたくましく生きる人々の友情を見る。

この大地は不思議だ。植物、草食動物、肉食動物、人間という食物連鎖のヒエラルキーは殺戮の残酷さを感じさせず、むしろ生命の必然をもって感覚に迫る。それと同様のフラットな感覚を人間関係にもつきつける。人は先天的にも後天的にもそれぞれの生き場所をもって生まれてくる。そしてそのステージを引き上げようと努力することに人生の意義がある。この目の前に見るアフリカ人とイギリス人の植民地的状態を歴史的政治的な暗さと見るべきではない。むしろ地政学的な必然から生まれており、想像よりも自然なのだ。

低く長いテーブルはおよそ10メートルくらいでその両側に座る。テーブル自体が低いので椅子に腰掛けると膝がつきあがり気味になる。われわれ以外は全員イギリス人だ。アクセントでわかる。真向かいには小太りの若いカップルが座っていた。話を聞くとハネムーナーだ。タンザニアからケニアにかけて回って来たと言う。この大自然を新婚旅行の対象にする感覚は日本人と幾分異質だがとても適切な場所選びだ。

バルーンを終えるとサファリ・ドライブをしながら次の宿営地のムパタへ向かう。途中の気候は最高で、車の天井から身を乗り出しながら動物たちを観る。象の鼻を構成する筋肉のユニットは15万以上で人間の指先の動きに匹敵するとニコラスが教えてくれた。カバによって殺される人間の数がサファリにいる動物たちの中で一番多いとも聞いた。カバと水の間を人間が横切ると思いがけないスピードで突進してきてかみ殺されるそうだ。「向こうにチーターがいる」とニコラスが言った。しかしどこにも見えない。現地の人間の視力は6、0に及ぶことも普通だ。10分ほど車で走ると一本のアカシヤの根元にチーターの親子がいた。

 

 

KENYA REPORT 6日目(4oct.)Vol.3

 

大阪府と同じ距離と言われるマサイマラ国立保護区を縦断し最後のホテル、ムパタに着く。小高い山の上だ。日本の著名建築家が設計したもので当初会員制ホテルとしてスタートしたものが一般にも門戸を開いた。今回の旅程のなかでは最も宿泊費が高い宿だ。

率直に言ってなんの魅力も感じなかった。大自然に対して一定の距離を置いた立場でサファリを眺めようとするコンセプトはブルジョア的かつ極めて古いリゾート観でアフリカに対する侮辱とさえ感じた。白壁を基調にして濃い茶色の柱と透明アクリルを多用した円柱の変形建築は過ぎ去りしバブル期を思い起こさせる趣味の悪さだ。もっとも日本からのハネムーナーや旅慣れない家族のケニア旅行には調度良いのかもしれない。自分でお金を払っているわけではないのでどんな場所であれ感謝しなければならないのはものの道理だが、それは承知で場所の良し悪しとしての批判はさせていただく。

ファシリティの良さとは設備だけを指さない。接客、メンテナンス、なにより提供するサービスのコンセプトそのものを指している。今回のセレナ、シエナ、ムパタのなかでもっとも設備面が低いのはシエナ・ロッジのテントであったが、「リアルアフリカの体験」という意味ではここに勝るものはない。次がセレナ、最後がムパタだ。つまりムパタに宿泊する人間はアフリカの息吹やリアリティを求めているのではない。アフリカの表層や記号だけをなぞれれば良いのである。それが証拠にディナータイムに踊られたマサイダンスは極めてエセ臭い、ホテルマンの集団のようなものだった。

このホテルの日本人宿泊率はおよそ全体の70%以上だろう。別に日本人が多いことが批判の対象ではない。しかし日本人はアフリカの初心者である。そもそも自由な海外渡航が許されたのでさえ通貨が変動相場として安定してからである。つまり外国人が少ないようなホテルは薄っぺらいのである。それは否応のない日本の世界における旅行の歴史に裏付けられているのであり、ヒューマン・ライツやマナー、世界観と直結しているのだろう。日本人は日本文化において数千年の歴史を誇れても、世界の文化センスにおいて幼いのだ。それがまさにムパタである。

 

 

KENYA REPORT 7日目(5oct.)Vol.4

 

ムパタの夜、皆よく飲んだ。翌朝、近くの赤土の滑走路からナイロビに向かう。帰路に着くためだ。

==========

こうして東京でこれを記しているとケニアは既に二ヶ月前の出来事だ。アンボセリやマサイマラでの二ヶ月などは、きっと悠久の時間の中に潜む粒のようなものだろう。なにひとつ変わらない日々のたったひとつの無限だ。

帰国してからの自分はカルチャーショックを受けながらもいつも通りの暮らしの渦に巻き込まれ、ほどなくしてパリへ旅をした。シャイヨー宮で舞台を観劇し衣食住の文化の深さを肌に感じながら人間の業を歴史の遺産に見てとったりもした。たまたま友人に連れられて夜中に行ったカフェがヘミングウェーを常連にしており、そんな大人な雑踏に紛れながらアフリカの自然とフランスの文化の相関に人間の小ささと素晴らしさの双方を感じた。何も満たされることはない。だがなぜか悲観的でもないのだ。

むしろ希望に満ちている。日本ではすべての建築も人々の喧騒も、稚拙な政治や経済の騒ぎも、ありとあらゆるすべてが等価値にちっぽけな力で自分を刺激する。それは目から入り視覚を刺激し何かを感じさせようと試みたりもするが一向に届くものはない。耳から入る音、コトバらも何一つ届くものはない。意味に隔絶のある外人の発するコトバが伝えようとする意思の方が、むしろ伝わることさえある。

パリから戻り下関へ行き佐賀へ行った。外人たちと仕事をした。別に外人礼賛ではなく、すくなくともその人たちは明確な意思と目的をもって日本を訪れ表現していた。それが心地良かった。国籍の問題ではなく、きっと日本人にも大勢そのような個人や組織があるだろう。けれども日本の国そのものはそれを持っているのだろうか。日本というものが明確な意思や目的を持っているのだろうか。

ナショナリズム以前に、われわれは日本のパスポートを持った日本国籍の日本人だ。アフリカに住もうとしても帰化しない限りは日本人だ。パリもニューヨークもロンドンも変わらない。われわれが心の奥底から望む平和は世界全体に共有できる意識や価値観なのだろう。それはパスポートを失うことではない。世界を理解し統合に向かおうという意識と行動は「AとBの違い」を知ることから始まる以外にない。それはパスポートを持つことではないか。

日本という国はパスポートを発行している。しかしいつからかどこの国かも分からない国に成り下がった。この国はどこの国かもわからずただパスポートを発行している。どこの国かもわからないのに世界を分かるはずがない。自分の国を見失った国が他国との違いを問いただす基準など到底持ち得ない。

アフリカへ旅して「人間の生死も自然の瞬間に過ぎない」と知り、パリでは「だからこそ謳歌するべき人間の生」を知り、日本を旅して「意思を持ち目的へ向かう時にこそ未来は開かれるのだ」と感じた。世界人のひとりとしての日本人とはと、最近思う。